東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

福島県南相馬市

東日本大震災で発生した津波被害から行方不明者の捜索と道路啓開作業に着手したその時、原発事故が発生した。

避難を余儀なくされたものの、地元の復旧のために街に戻る人々がいた。

放射線の影響が懸念される中、行方不明者の捜索を再開しなければとの想いが背中を押した。

地元の建設会社と自衛隊員がチームとなってガレキ撤去を進めて行った。

地震、津波被害に加え困難な放射線対策の中で復興作業にあたった日々について聞いた。

石川建設工業(株) 専務執行役 石川幸慶

ナビゲーター:宮田敬子

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

取材後記

ナビゲーター
宮田敬子

2回目の伝承ロードは福島県の南相馬市に向かいました。番組冒頭でリポートした場所は原町区の国道6号沿いで、立っていると大型のトラックが次々と通過していく交通量も多い場所でした。

しかし原発から20キロの距離にあるこの場所は、震災後これまで住んでいた人達も立ち入ることができなくなった地域です。しかしそんな場所でも復旧作業は日夜行われていました。お話を伺った石川さん、市役所の長谷川さんもその一人。

石川さんは一度は避難しましたが街の様子が気になり、長谷川さんに電話をかけたことがきっかけで南相馬の街に戻ることに。家族には戻ることを反対されると思っていましたが、意外にも背中を押してくれたそうです。きっとこれまで街を守ることに尽力してきた石川さんの背中を見てきたからこそ、反対はできなかったのではないでしょうか。

石川さんが南相馬に戻ってから携わった復旧事業については番組でもご紹介しましたが、ここでは長谷川さんの行っていたことを記したいと思います。

当時水道関係の部署にいた長谷川さんは、管轄する地域を歩いて回りながら、まず水道管から水が漏れるのを防ぐため、水道管の栓を閉じる作業を行っていました。しかし津波の影響もあり、どこに水道管があるかもわからない場所が多かったそうです。水道管の場所を示す地図を手にし、日々街を歩き、時には瓦礫をよけながら作業は続きました。目に見えない放射線の影響は知っていましたが、それでも長谷川さんは止まることはありませんでした。

長谷川さんが作業した地域を地図で見せていただきましたが、とても広い範囲でした。当時避難している人がほとんどの中、一軒一軒家を回りながら水道管を調べていたことを考えると感謝の気持ちしか浮かびませんでした。

もちろん長谷川さん、石川さんだけでなく多くの人がその場所で作業することの恐怖を感じながらも「誰かがやらなければ」という思いを胸に過ごしていたのだと思います。

復興を伝えていくときには、目に見えるものだけでなくこうした携わった方々の思いも大切に伝えていきたいと改めて思いました。

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