東日本大震災では河口近くの本社屋が津波に襲われる。
大船渡湾内で作業をしていた起重機船は乗組員の避難を優先し、船が陸に打ち上げられた。
それでも、復旧に欠かせない起重機船の購入を即決して、海のガレキ撤去をいち早く進めた。
同時に、陸では道路の啓開に尽力する仲間の姿があった。
あれから14年近くが経った今、大船渡の街を復興する起重機船の姿にあこがれを抱き会社の門を叩く若者がいる。
(株)佐賀組
ナビゲーター:宮田敬子
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。
盛川の河口近くの佐賀組本社は川を遡上する津波に襲われ1階部分が水没する被害を受けた。
本社屋内に掲示された津波到達水位の表示が震災の記憶を伝える。
写真中央奥に津波に流されて行く起重機船のクレーンが見える。
現在の本社屋の外壁にも津波到達水位が表示されている。
佐賀組本社でラジオ収録。高橋さん、佐々木さん、熊谷さん、小平潟さんからそれぞれの体験をお伺いする。
震災当時、建設工事を担当し完成間近だった大船渡市魚市場も被災した。その後、修復工事などにより完成した
今はのどかな大船渡湾。震災直後、海のガレキ処理に従事、さらに三陸沿岸各地の沿岸復興にあたった。
港湾整備に欠かせない起重機船。現在活躍中の第177佐賀丸。
第177佐賀丸前景。
お話を伺った佐賀組の皆さんと宮田ナビゲーター。
今年もこの編集後記を皆さんにお届けできることをうれしく思っています。
放送で伝えきれなかったこと、取材で感じたことなどをお届けします。
今回の舞台は大船渡市。陸中海岸南部で最大の港をもつ工業都市です。大船渡湾に立ち陸に目を向けると、セメント工場など大きな建物が並び、海に目を向けると漁船や作業船がずらりと並んでいました。ただ、私の立っている場所からは外海は見えません。というのも、この大船渡湾、南北に長く奥行きが約6キロもあるのです。
そんな大船渡湾に浮かぶ船の中で、ひときわ存在感があったのが「起重機船」。波消しブロックの設置など、海の上でクレーンを使った作業に使われる船で、取材した「佐賀組」にも最大つり上げ荷重300トンという大型の起重機船があります。
震災時、この起重機船は大船渡湾にありました。船の上でも驚くほどの揺れで、船に設置されていたロープが大きく揺れて危ないほどだったそうです。本来であれば、津波の恐れがあるとき船を出し沖へ逃げるのがそれまでの常識でした。しかし、奥行きが長い大船渡湾では沖までたどり着かないうちに津波に飲み込まれてしまう…そう判断し、船長の熊谷さんは乗組員を陸に逃がします。その結果、船は壊れてしまいましたが、乗組員は無事でした。大船渡湾を知り尽くしているからこそ、即座に動くことができたのでしょう。改めて、そうした経験を改めて伝える場を設けているか尋ねたところ、なかなかそのような場はないとおっしゃっていました。
様々な方を取材すると、未曽有の災害に対してこれまでの豊富な経験を活かし、イレギュラーな事態をそれぞれの判断で乗り越えたお話がたくさんありました。震災から間もなく14年。改めてそうした経験を伝えることが、これからの街を守ることにもつながるのではないかと感じました。
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