東日本大震災から10年「3.11伝承ロードをめぐる」

取材後記

その時の行動を考える

「来たぁ」と津波に対峙した声…
防災学習を生かす勇気…
原発避難で心にしまいこんだ想い…
不可避な風化、据える意識…
数々の証言と教えをその先のあなたにつなぐ。

被災4県の証言者たち
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東北工業大学 1年 早坂至恩
宮城教育大学 1年 村上真綺
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ナビゲーター 伊藤永夏

宮城教育大学1年 村上真綺、東北工業大学1年 早坂至恩、ナビゲーター 伊藤永夏

※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。

特別座談会~スタジオ収録を終えて~

伊藤
ここからは収録を終えての座談会ということで、お2人にざっくばらんなお話を伺います。まず、率直に今収録を終えて、どんなお気持ちでしょうか?
ナビゲーター 伊藤永夏
早坂
いろいろ話したいことを考えてきたんですが、半分くらい話せたかなというくらいで、少し緊張しました。
東北工業大学1年 早坂至恩さん
伊藤
緊張してましたね(笑)。伝わってきましたよ。村上さんはいかがでしたか?
村上
すごく緊張しちゃいました。
宮城教育大学1年 村上真綺さん
伊藤
村上さんからはそんなに私、緊張がそこまで感じませんでしたけど。
村上
えっ?結構緊張してて、でも至恩君の話とかいろいろ聞けて楽しかったです。
伊藤
お2人は実は同級生なんですよね?
早坂・村上
はい。
伊藤
ご関係性を説明してもらえますか?クラス一緒だったりするのですか?
早坂
自分たちは高校1年生から3年生までクラスは変わらなかったので、3年間同じクラスの同級生です。
伊藤
お互いの印象はいかがでしたか?
早坂・村上
ハハハ(爆笑)
伊藤
これ聞いていいのかな(笑)。ごめんなさい、まず、高校はどちらの高校でしたか?
早坂
宮城県多賀城高等学校の災害科学科でした。
伊藤
クラスは何人くらいいらっしゃいましたか?
早坂
私たちの時は定員より少なく24人しかいなくて。
村上
フフフ。
伊藤
その24人の中のお2人なのですものね。いまここで再会し、高校からのイメージ変わりました?どうですか?
早坂・村上
・・・
伊藤
えっ?2人仲悪いわけでないですよね?
早坂・村上
ハハハ(爆笑)。
村上
あの、至恩君はK-POPが好きなので、教えてもらったりしてそこで仲いいです。
伊藤
へぇー、音楽の趣味が合うのね。なるほどなるほど。お2人は高校の時は災害科学科だったということですが、そこではどんな学習をしたのですか?
村上
まだコロナ禍の前だったので、いろいろなところに研修に行けたのがすごく楽しかったです。
伊藤
どういうところに研修行ったのですか?
早坂
県内も県外も結構いろいろなところに行ってて、全員ではなかったり。自分は北海道に行ったんですよ。そのときは少人数で3人とかで行ったりしました。
伊藤
北海道には何をしに?
早坂
北海道は有珠山、火山の時の避難。そうですね。
伊藤
外に出て学習すること多かったのですね。今回3.11伝承ロードのようなネットワーク化をして発信していくということについてはどう思いますか?
早坂
震災を知らない人は自分たちより若い人であったりして、その多くはSNSだったり、そのようなネットワークを見ることが多いので、このような感じで発信していくことでより伝えていく、目にすることは多くなるのかなと思いました。
伊藤
村上さんはどう思いますか?
村上
伝承という意味でも、ネットから伝えることは大切だなと思っていて、紙とか、昔だったら石碑とかあった中で、100年後にも伝えられる形としてこういうのはいいなと思います。
伊藤
今回5回あるうちの4回の放送は、遺構だったり伝承館だったり取材して来ているのですけど、ひとつにまとめて番組で聴けるというのはどう思いますか?いろいろなところの状況は宮城にいるだけだとわからないじゃないですか。ラジオを通して八戸の話だったり、釜石の話だったり聞いてもらったりと思うのですけど。
早坂
今まで持っていた自分の防災に対する考え方よりも、いろんな地域でこういうことがあったということを知るたびに、もっとこうした方がいいんだと地域ごとの対策を知ることが出来たのでとてもよかったと思います。
伊藤
村上さんはどうですか?
村上
今はコロナ禍だからいろんなところに行けないので、こういうものを通して知ることが出来てよかったなと思います。
伊藤
コロナが落ち着いたら、ぜひ2人とも放送で聴いたところも含めて、行ってみてほしいと思います。お2人は4月から大学2年生になる…いいですね。
早坂・村上
ハハハ。
伊藤
どんなことに挑戦したいですか?早坂さん。
早坂
自分の口で伝えるということもあったので、実際にそういう活動しているところに自分も参加できればやってみたいなと思いました。
伊藤
どういうことをどういうふうに、具体的に考えてますか?
早坂
誰かの体験談を自分がしゃべるだけでなく、自分が体験したことをしゃべる場とかどんどん挑戦していきたいな、と、
伊藤
村上さんはいかがですか?
村上
まず2年生になれるかどうかが不安なのですけど・・・。
伊藤
ちょっと待ってください(笑)。これはどういうことですか?
村上
成績が不安なのですけど(笑)。ゼミとかも活動していきたいですし、コロナも収まったらいいなと、いろんなところに足を運びたいなと思っています。学びにとかでなくて観光でもいいから沿岸部とか行ってみたいです。
伊藤
足を運んでみたいという気持ちは2人ともありますものね。今日はありがとうございました。
早坂・村上
ありがとうございました。

取材後記

ナビゲーター
伊藤永夏

3月11日で東日本大震災の発生から11年。第5回の収録はその2週間前に行われました。

今回は、スタジオに東北工業大学1年生の早坂至恩(しおん)さんと宮城教育大学1年生の村上真綺(まき)さんを招いて、これまでの4回の放送を振り返りながら、震災発生時小学2年生だった2人の想いをお聞きするという特別編となりました。

私は今回ナビゲーターとして2人に、当時は東日本大震災をどのように受け止めていたのか、防災について学びながら成長する中でどんな想いを抱き、どのようにとらえるようになったのかなど気持ちの変化などを聞きました。また、2人は防災・減災のことや震災を風化させないために自分たちができることは何かなども話してくれました。是非ラジオで生の声を聞いていただきたいと思います。

話を聞くことで、私は震災発生時高校2年生で秋田の高校にいたことを思い出しました。学校の教室で帰りの会をしていた時、立っていられないような大きな揺れと恐怖に襲われたこと、クラス全員がただごとではないと一瞬で察して先生に言われるまでもなく机の下に潜ったことを今でも鮮明に覚えています。その後は電気も止まり、親の迎えを待つ間学校の寒い教室で情報もなく不安な時間を過ごしました。電気が復旧するまではガスコンロを使ってご飯を食べたこと、ラジオで情報を得る一方、アナウンサーが読み上げる被災地の状況が恐ろしく想像もつかないような内容だったこと、さまざまな当時のことが思い出されました。あれからまもなく11年。わたしはアナウンサーとして青森・岩手・宮城・福島で伝承館や遺構を取材し伝える立場になりました。当時の様子を目の当たりにし、被災された方々のお話を聞かせていただいた今、一番に思うことは「当時の様子を忘れず、防災・減災について考える時間を少しでも増やしていきたい」ということです。

八戸市みなと体験学習館の前澤時廣館長は「人は時が立てば忘れる、この先10年20年経っていったとき、それが風化していくのは避けられない」と話されました。確かにそうなのかもしれません。3.11というこの日が近づけば思い出す方も多くなりますが、またそこから1年の間に、どれだけの人が防災・減災について考える時間を持っているのかと考えると、わたしはこの言葉の重みをひしひしと感じます。この5回の放送をお聞きになった皆さんが、3月11日を迎え11年、12年と過ぎる日々の中で、少しでも防災と減災について考えるきっかけになればいいなと思います。

最後に、八戸市みなと体験学習館の前澤時廣館長、八戸工業大学の吉田龍平さん、釜石市のいのちをつなぐ未来館語り部の川崎杏樹さん、釜石鵜住居復興スタジアムの並里めぐみさん、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の佐藤健一館長、同じく伝承館スタッフで杉ノ下地区遺族会の小野寺敬子さん、福島県双葉町の東日本大震災遺構・伝承館の泉田淳さんと横山和佳奈さん、第5回でお話を聞かせてくださった早坂至恩さん、村上真綺さん、取材にご協力くださった全ての皆様、そして最後まで一緒に取材したスタッフにこころから感謝申し上げます。