「来たぁ」と津波に対峙した声…
防災学習を生かす勇気…
原発避難で心にしまいこんだ想い…
不可避な風化、据える意識…
数々の証言と教えをその先のあなたにつなぐ。
被災4県の証言者たち
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東北工業大学 1年 早坂至恩
宮城教育大学 1年 村上真綺
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ナビゲーター 伊藤永夏
宮城教育大学1年 村上真綺、東北工業大学1年 早坂至恩、ナビゲーター 伊藤永夏
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。
3月11日で東日本大震災の発生から11年。第5回の収録はその2週間前に行われました。
今回は、スタジオに東北工業大学1年生の早坂至恩(しおん)さんと宮城教育大学1年生の村上真綺(まき)さんを招いて、これまでの4回の放送を振り返りながら、震災発生時小学2年生だった2人の想いをお聞きするという特別編となりました。
私は今回ナビゲーターとして2人に、当時は東日本大震災をどのように受け止めていたのか、防災について学びながら成長する中でどんな想いを抱き、どのようにとらえるようになったのかなど気持ちの変化などを聞きました。また、2人は防災・減災のことや震災を風化させないために自分たちができることは何かなども話してくれました。是非ラジオで生の声を聞いていただきたいと思います。
話を聞くことで、私は震災発生時高校2年生で秋田の高校にいたことを思い出しました。学校の教室で帰りの会をしていた時、立っていられないような大きな揺れと恐怖に襲われたこと、クラス全員がただごとではないと一瞬で察して先生に言われるまでもなく机の下に潜ったことを今でも鮮明に覚えています。その後は電気も止まり、親の迎えを待つ間学校の寒い教室で情報もなく不安な時間を過ごしました。電気が復旧するまではガスコンロを使ってご飯を食べたこと、ラジオで情報を得る一方、アナウンサーが読み上げる被災地の状況が恐ろしく想像もつかないような内容だったこと、さまざまな当時のことが思い出されました。あれからまもなく11年。わたしはアナウンサーとして青森・岩手・宮城・福島で伝承館や遺構を取材し伝える立場になりました。当時の様子を目の当たりにし、被災された方々のお話を聞かせていただいた今、一番に思うことは「当時の様子を忘れず、防災・減災について考える時間を少しでも増やしていきたい」ということです。
八戸市みなと体験学習館の前澤時廣館長は「人は時が立てば忘れる、この先10年20年経っていったとき、それが風化していくのは避けられない」と話されました。確かにそうなのかもしれません。3.11というこの日が近づけば思い出す方も多くなりますが、またそこから1年の間に、どれだけの人が防災・減災について考える時間を持っているのかと考えると、わたしはこの言葉の重みをひしひしと感じます。この5回の放送をお聞きになった皆さんが、3月11日を迎え11年、12年と過ぎる日々の中で、少しでも防災と減災について考えるきっかけになればいいなと思います。
最後に、八戸市みなと体験学習館の前澤時廣館長、八戸工業大学の吉田龍平さん、釜石市のいのちをつなぐ未来館語り部の川崎杏樹さん、釜石鵜住居復興スタジアムの並里めぐみさん、気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館の佐藤健一館長、同じく伝承館スタッフで杉ノ下地区遺族会の小野寺敬子さん、福島県双葉町の東日本大震災遺構・伝承館の泉田淳さんと横山和佳奈さん、第5回でお話を聞かせてくださった早坂至恩さん、村上真綺さん、取材にご協力くださった全ての皆様、そして最後まで一緒に取材したスタッフにこころから感謝申し上げます。