当時住んでいた二戸市から車を走らせ、野田村で瓦礫処理のボランティアに参加した。
そこには全国各地から大勢の人が来てくれた。すごくありがたかった。
もらってばかりではいけない。今度は福島市で除染ボランティアとして活動した。
そこで作業をしていて、あることに気付いた。山の除染をしなければならない。
林業を勉強。そして田村市への移住を決断。
「やらなきゃいけないことがあって、やれる人がいるなら、やればいいんじゃないかな」
柔らかい言葉の向こうに見える使命感。
合同会社森の人 代表社員 久保優司
ナビゲーター:宮田敬子
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。
岩手県出身の久保さんは異色の経歴を持つ。盛岡で検察事務官を務め、2013年に田村市へ移住して、現在は林業に従事。
久保さんがボランティアとして通った野田村。全国から多くの人が来てくれ、ありがたかった。この後、もらってばかりではいけないと感じ、福島市の除染ボランティアへ参加する。
ボランティア活動は大変だったけど、苦労ではなかった、と久保さん。しかし、林業を始めて1年くらいは体中がずっと痛かったとも。
奥様は久保さんが林業へ転身することに反対。納得してくれるまで相当な時間を要した。(このような作業ならば、私だったら反対するかも。宮田敬子 談)
20m以上の高さがある大木を伐採する様子。最初にチェーンソーで根本付近に切り込みを入れた後、重機で安全な方向へ押し倒す。風向き次第では予定していた位置と違う場所へ倒れる可能性もあるので、細心の注意が必要。
木が好きという宮田さん。目を輝かせながら久保さんの解説を聴く。(この写真では年輪について解説中)
久保さんと一緒に働く3人。左から紺野義英さん、臼井真由美さん、渡辺正二さん。久保さんとは長い時間を一緒に過ごすことが多く、家族に近い存在とのこと。
山の除染をしたいと思って林業へ転身した久保さん。会社が順調になったら、みんなに本業の木を登る仕事をしてもらって、自分は放射線量が高い山に行って、森林整備をしたいと話をしてくれました。
「ドォン…」
25mもの高さの木が地面に倒れる瞬間、今までに感じたことのないような振動が足元から伝わってきました。そんな森林整備の現場で指揮を執るのが久保優司さんです。
久保さんは検察事務官でありながら、除染作業のボランティアで訪れた福島県で森林の除染の必要性を感じ、仕事を辞めて岩手県から福島県田村市に移住するという異色の経歴を持ちます。
「気づいてやれる人がやればいい…」
移住・転職の理由をこんな風にさらっと話す久保さん。
話していると、久保さんからは磁石のような人を惹きつける魅力とパワーを感じました。
森林の除染も、普通の人から考えれば、そんなことできるの…?と思ってしまうけれど、久保さんは何気なく、当たり前のことのようにそこに向かって突き進んでいく。
するとその力に引き寄せられて、久保さんの周りに人が集まります。
現在一緒に働いている、浪江町出身の紺野さんもその一人。紺野さんは、久保さんが外から入ってきた人だから強みがあると話してくれました。紺野さん自身は震災後、自分の故郷・浪江町を見て、もう復興できないのではないかと思ったそうです。しかし、久保さんは微塵もそんなことを感じていません。街のためにできることは何か。そのことを次々と見つけ行動に移していきます。
久保さんに樹齢300年を超えるというケヤキを見せていただきました。木々は私たち人間よりずっと長く生きていきます。だからこそ、森にかかわる久保さんの見据える先は数十年、数百年先の福島の姿です。かつてそうであった、阿武隈の森と人々との関わりがずっと続いていくよう、多くの人を惹きつけながら久保さんはこれからも活動し続けるのだと思います。