災害対策本部の無線からは至急報が次々と流れてくる。
地震、津波、原発事故。世界でも類を見ない事態に立ち向かう。
最優先は県民の安全確保。
「最後の砦は我々警察。我々しかいない」
強い使命感を抱き、職務を全うする。
福島県警察本部 広報室長 小幡尚一
ナビゲーター:宮田敬子
※ラジオ番組音声は以下からお聴きいただけます。
当時の災害対策本部の様子。本部長、各部長、所属長、このように全員が揃うことは、本来あり得ない。
その写真を見つめる宮田さん。只ならない状況であったことが伝わる。
小幡さんに見せてもらった記録集に掲載されている当時の写真。警察の職務が過酷な状況下だったことが分かる。
小幡さん達の励みになったという国道沿いに立つ姉弟。忘れることのできない光景。
全国の警察が応援に来てくれ、とてもありがたかった、と小幡さん。阪神淡路大震災の時、自身は神戸へ応援に行った経験がある。
県民のために活動するのが警察、県民を守るのは俺たち、必死だった。当時を思い出すと、胸が熱くなり、涙がでることもあると話をしてくれました。
福島県警察公式YouTubeチャンネル
東日本大震災発生当時の福島県警の活動をまとめた動画です。
こちらも是非ご覧ください。
「県警ユーチューバー」…とはちょっと聞きなれない言葉ですが、今回お話を聞いた福島県警察本部の広報室長・小幡尚一さんは、現在、福島県警の公式チャンネルに動画などを配信する県警ユーチューバーとしても活動しています。もともと、映像を編集したりするのは好きだったと話す小幡さん。動画を通して自分たちの活動をより多くの人に知ってもらいたいと活動しています。そんな小幡さんが広報室長として伝えていかなければいけないと感じていることの一つが、東日本大震災での福島県警職員が果たした任務でした。
東日本大震災当時、交通関係の部署に所属していた小幡さんは、震災発生から休むことなく検問所の設置、交通整理、さらには看板の発注など、ありとあらゆる職務にあたりました。そこに、さらに原発事故の対応も加わります。小幡さんに見せていただいた写真には、住民が避難し、誰も入ることのできない場所で、防護服に身を包んだ数えきれないほどの警察官が行方不明者などの捜索を行っているものもありました。
その警察官の中には、福島県警だけでなく全国から応援に駆け付けた警察官もいたそうです。放射能という見えない恐怖にさらされながらも、全国の警察官が、福島のために何かしなければと一緒になって活動していた。あの時の感謝は忘れられないと言います。
実は、お話を伺っている最中、小幡さんが言葉を詰まらせる場面がありました。東日本大震災では、仲間の警察官が職務中に亡くなったそうです。その記憶が、不意によみがえることがあると教えてくれました。警察官は涙は見せられないですから…そう口にした小幡さん。
震災から12年が経とうしていますが、小幡さんとってはその記憶はつい昨日のことのようにふと思い出されるものであり、だからこそ忘れずに、この震災の教訓を伝えていきたいと感じているのではないでしょうか。
まずは100本の動画配信をめざすという小幡さん。経験を伝え、それを私たちが知っていくことで、もしもの時への備えになる。いま改めて何が必要なのか考えなければいけないと感じました。