気仙沼市
高前田乾隆窯 斎藤乾一さん
増子華子アナウンサー 取材リポート
気仙沼市中心部から6キロほど離れた山の中にある焼き物の工房「高前田乾隆窯」を訪れ、陶芸家の斎藤乾一さんにお話を伺いました。1942年、気仙沼市に生まれた斎藤さんは、1978年に自分の窯を持つようになってから43年間、78歳の現在も作品を作り続けています。気仙沼の土を使うことにこだわり、濃紺に近い深い青を基調とした器や花瓶、壺ン窓の作品を手がけています。
東日本大震災の時も、斎藤さんはこの工房にいました。一番心配したのは窯の状態でしたが、この揺れで壊れてしまいます。7月に修理が完了し、幸いにも残っていた作品もあったため、作品展を行いました。仮設で暮らす方々がその作品を見た時に、紙ではなく焼き物でご飯を食べたいとおっしゃっていたことが印象に残ったといいます。
震災直後、斎藤さんが一番気にかけていたのは、児童養護施設の子供たちでした。自分にもそうした子供たちのためになにかできることはないか。作品の売り上げを寄付するなど支援活動を行い、震災をテーマにした作品も作りました。
これから気仙沼がどんなまちになってほしいか伺うと、若い人が戻ってくるようなまち、自然と一体になったまちというキーワードが出てきました。まさに気仙沼の自然のパワー・土のパワーを受けている作品に、今後も注目していきたいと思います。
東松島市大塩地区
イーストファームみやぎ 赤坂芳則さん
熊谷望那アナウンサー 取材リポート
実は東松島市では、コットンつまり綿花の栽培が行われています。東日本大震災をきっかけに綿花栽培をゼロから始めたイーストファームみやぎの赤坂芳則さんに取材しました。
赤坂さんが取り組むのは、東日本大震災の津波で稲作が困難になった農地で綿を栽培から販売までを一貫して行うプロジェクト「東北コットンプロジェクト」です。東北の被災地でコットンを育てて、商品化まで手掛けよう、というコンセプトのもとプロジェクトが動き出しました。誰にとっても未知のチャレンジで、赤坂さんも初めは迷いましたが、赤坂さんのモットーは有言実行。やろうと思えばできないことはない、とプロジェクトへの参加を決意しました。
手探りで綿花栽培を進め、いざ収穫となった2011年の9月。台風15号の大雨被害を受けてしまいます。その翌年は畑の面積を大幅に広げましたが、今度は長雨の影響で収穫量があがりませんでした。このような状況の中でも、赤坂さんはボランティアの皆さんの存在を支えに、綿花栽培を続けることに迷いはなかったといいます。ボランティアの人数は2年間で600人を超え、その中には音楽プロデューサーの小林武史さんや一青窈産の姿も。自分ひとりでは続けられなくても、ボランティアを始め、関わってくれた皆さんのためなら頑張れるとおっしゃっていたのが印象的でした。現在では個人のボランティアの他にも、全国的に企業単位でその輪が広がっています。
ただ、このコロナ禍で、ボランティアの数も例年に比べて半分以下、収穫祭も中止となるほど大きな影響を受けました。2月6日(土)に綿花の摘み取り作業が三蜜を避けて行われましたが、集まったボランティアは20人程でした。コロナウイルスの一日でも早い収束を赤坂さんも願います。
震災をきっかけに始まり、たくさんの思いを詰め込んで膨らんだコットンの実は、タオルハンカチやマスク、シャツといった製品で形として私たちの近くにあります。コットンは復興のシンボルだとおっしゃっていた赤坂さんの思いを私たちもしっかり受け取りたいと思いました。