仙台市若林区 トレビ不動産
才津和夫さんへのインタビュー
後藤 舜アナウンサー 取材レポート
若林区にある「トレビ不動産」の才津和夫さんを取材しました。才津さんは長崎の五島列島出身で、東京での生活を経て宮城に移住してきました。
才津さんが不動産会社をオープンしたのは、2012年。震災前までは多賀城市明月で「トレビアンランチ」という弁当屋を営んでいましたが、震災によって大きな被害を受け、震災後に資格を取って不動産の仕事を始めました。
震災発生時、才津さんは利府町にいて、先に避難した人たちからの知らせを受け、間一髪で津波から逃れました。家族は無事でしたが、会社は壊滅的な被害を受け、再開するのを諦めました。
奥様からの助言で、宅建の資格を取る、という没頭できることを見つけ、少しずつ前を向き始めることができた才津さん。震災翌年の2012年6月に拠点を仙台市に移し、「トレビ不動産」を開業しましたが、震災でダメージを受けた多賀城市と仙台市では大きな温度差を感じたといいます。そんな中でも、仙台市若林区で開業を決めたのは、周囲の同業他社の方の支援や指導などがあったからだそうです。
不動産会社を始めて8年が経過し、才津さん自身、会社のある薬師堂周辺の街並みの変化を感じています。新しい建物や大型店舗が増え、住みやすくなりました。たとえ街並みは変わっていったとしても、地域に密着している不動産会社として頑張っていきたいとお話しされていた才津さん。震災後周囲の環境が大きく変化する中でも頑張ってこられたのは周囲の方々のおかげだとおっしゃっていたのがとても印象的でした。
山元町 震災遺構中浜小学校
長南 昭弘ディレクター 取材レポート
山元町の「旧中浜小学校」が震災の伝承施設「震災遺構」として開館し、一般公開が始まりました。震災当時、校舎にいた児童や教師など90人が屋上に避難し、全員が無事救助されました。当時校長だった井上剛(たけし)さんは避難指定場所への移動は不可能と判断し、校舎屋上への非難を決断しました。井上さんは現場で判断することの難しさを痛感したといいます。数少ない情報の中でその場にいた全員が助かったのは、頑丈な建物と、地元の方の備えとして、工事中に2メートルのかさ上げが行われていたからでした。90人もの命を守った校舎は、当時の人々の気持ちに寄り添うことができる、地域の方々の心の拠り所となっています。
震災後、住んでいた場所に近づくことができないという方々も多くいらっしゃいます。いつの日か故郷の記憶をたどる道標として校舎の存在を広く受け入れてもらい、震災の伝承に繋がっていけばいいなと感じました。