3.11みやぎホットライン

月曜 19:00~19:30
tbcラジオ AM 1260kHz

radikoで聴く

2017年4月17日(月)放送

石巻市 元石巻小学校教頭 斉藤悦美さん
災害時の小学校の防災対応について考える
古野真也アナウンサー取材リポート

石巻市門脇町にお住いの斉藤悦美さんは、震災時は石巻市立橋浦小学校の教頭先生をされていました。地震発生時は、大きな揺れに、子供達も尋常じゃない雰囲気を感じ取っていたと、思い返します。学校からその日に両親が連れて帰った子供の中には津波で亡くなった生徒もいました。
地震の後はそのまま橋浦小学校が避難所となり、一時300人を超える人々が学校に避難してきました。学校ではその後すぐ、地区ごとに教室を割り振っての避難生活が始まります。避難所で斉藤先生は、市役所の方々と一緒に食事の管理、運営の補助に当たります。
その中である子供たちの異変に気が付きました。黒板に地震や津波の絵をかいたり、人々が逃げたりする絵をかいて遊んでいたことです。それは、「津波ごっこ」でした。
当時、その遊びは、居住内で子供や親族をなくされた人もいたため、不謹慎かもしれないと思い、止めるべきか心療内科医に相談します。しかし心療内科の先生は「これは、子供たちにやめさせないでほしい」と言ったそうです。この遊びを通してつらかった思いや自身の中で消化できないことを「あそび」の中でストレスの発散させている、ということでした。やめてしまったら今後に影響を及ぼしてしまう可能性があったのです。異常な状況下での生活、現在振り返ると「あの対応でよかったのか、学校としてできることがなかったのか」今でも自問自答が続いています。
その後、斉藤さんは教壇に立つにあたり「学校として何ができるかを実行に移すのはとても難しいが、とにかく平常心で、学校は学校という環境を整えることが一番。通常の授業を変わらずに行っていくのが役割である」という思いで生徒と向き合いました。
震災後は「経験の共有」をもつため生徒たちとたくさんの話をし、お互いの理解を深めることが「心の復興につながる」と分け隔てなく子供たちと接する時間を大切にしたそうです。現在、斉藤先生は退職されていますが震災を直接経験した子供たちの〝心を救う”大切さをひしと感じたようです。

女川町「女川桜守りの会」 藤中郁生さん
林朝子アナウンサー取材リポート

女川町の津波で失われた桜を復活させようと活動している「女川桜守りの会」を取材しました。現在は地域住民およそ20人が参加し桜の植樹などを続けています。今回は事務局長を務める藤中郁生さんにお話を伺いました。
震災後の2011年4月に、藤中さんは女川町で「桜」を発見しました。震災後に桜の木を見つけるなんて思ってもみませんでしたが、いつかこの桜が町のシンボルになるようにとこの桜を「津波桜」と呼び、保存活動を始めます。これこそが「女川桜守りの会」の活動のはじまりとなります。津波を免れた桜の手入れをしたり、全国各地から提供された桜の苗を女川町の各所に植樹したりして活動しています。
藤中さんはここ女川町では、町中に桜が咲いていたため、「花見」をしたことがない、する必要がなかったと振り返ります。その桜がある街の風景を復活させようと、震災前にあった当たり前の風景を取り戻そうと藤中さんはメンバーと一緒に今も尽力されています。津波桜は、枯れた桜もありましたがその「存在」を残そうとした結果、
先月、「花咲き地蔵」として高さ40センチほどの大きさとしてシーパルピア女川の一角に安置されました。
今では、お地蔵様の隣に3mほどの桜の若木も出現し津波桜の「孫桜」が枝を伸ばし新芽をつけています。花を咲かせるのは難しいかもしれませんが、これから数年かけて立派に咲いてほしい、と女川桜守りの会の方々は願っています。
浦宿からトンネルに入り、そこを抜けると女川町。そこにいつか桜並木のトンネルができたら、この町は”桜の町”になっていくかもしれないと期待を膨らませます。「女川の桜の町に」を合言葉に現在も精力的に植樹活動を継続しています。今後は地域の子供たちも巻き込んでいきたいと、未来への夢をお話しくださいました。

番組へのメッセージ

番組へのおたよりおよび災害時の情報は以下方法で受け付けております。

バックナンバー一覧

3.11みやぎホットライン
トップに戻る