山元町 漁師 大和郁郎さん 取材リポート
リポート:飯野雅人アナウンサー
ホッキが有名な山元町の漁業。磯浜漁港で漁師をしている大和さんに話を伺いました。津波で大きな被害を受け、39隻あった船も全て流され、震災から2年半以上経過した今でも8隻が戻ったのみ。漁港近くの集落150世帯も全て流失。50人いた漁師も現在は17人になってしまいました。
それでも少しずつ船の数は増えていて、漁港の整備も進んでいます。しかし別な問題が大和さんの頭を悩ませています。それは住む場所です。
大和さんは現在、名取市の所謂みなし仮設で生活していますが、山元町の磯浜漁港までは車で40分ほどかかります。これでは船の見回りが難しく、防犯上の問題が発生。また、台風や高波の時にすぐに駆けつけて点検作業などができないという問題もあります。震災前同様、磯浜漁港の近くに住みたいと思っていても、漁港周辺は危険区域に指定されているため住むことができません。大和さんの苦悩は続きます。
震災後、ホッキ漁はまだ再開できていません。課題は海底に多く残るガレキです。調査の結果、まだ約3000個のガレキが海底に沈んでいて、試験操業を行いましたが漁の再開にはまだまだ時間がかかるそうです。
山元町の漁師にとってほっきは特別な存在と大和さんは言います。港の整備、集団移転の問題、海底整備、漁師の担い手不足など課題は山積ですが、またホッキ祭りが復活する日を心待ちにしています。
仙台市若林区 井土生産組合 取材リポート
リポート:藤沢智子アナウンサー
以前にもこの番組で紹介した仙台市若林区井土地区の井土生産組合。津波被害に遭った田んぼの除塩作業が終わり、今年3年ぶりに米作りを再開することができました。これまでこの地区では個人個人が米を作っていましたが、今は組合として初めての米作りとなります。稲刈りを終えた鈴木組合長に話を伺いました。
1人1人は米作りのプロでも、田んぼも土も変わった中での米作りは初めてと同じ。3年ぶりということもあり、どうなるか分からない不安が大きかった、と鈴木さん。それでも出来は上々と言います。
その一方で以前と変わってしまった寂しさを感じたこともあったと、組合の理事である丹野さんは言います。今までは各農家ごとにあちらこちらでコンバインを使って稲刈りをしていたが、今は集団農業になり人も機械も少なくなったと言います。これからの農業の形と言えばそうだが、大型圃場整備が進むとこの先どのように変わっていくのかの不安を感じるそうです。また、働き方も変わったとのこと。田んぼの近くに住めなくなったため、皆が通勤農業になり、朝は9時、夕方が5字で作業を終えるようになりました。
大規模農業への不安は拭いきれませんが、それでも収穫ができた喜びが皆さんの表情に溢れていました。
※来週の「3.11みやぎホットライン」はお休みです。