JNN三陸支局 重富裕昭記者
沖縄に漂着したポストとBEGINについて
塩釜市 写真館尚光堂 取材リポート
リポート:飯野雅人アナウンサー
2011年3月11日の午後2時半ころ、私は塩釜市港町の写真館尚光堂でちょうどラジオカー中継を行っていました。その時にお話を伺った嶺岸知さんを先月訪ねました。
マリンゲート塩釜のすぐ南側にあるこの店の辺りには1.6mほどの津波が押し寄せましたが、幸いにして店内はあまり浸水せず、カメラなどの機材は無事でした。震災から2~3ヶ月後には営業を再開できるようになったが、当時は写真を楽しめる状況ではなかったため、開店休業の状態が続きました。
嶺岸さんはカメラを手に被災した近所の写真を撮り始めました。その時、あるものに注目したそうです。それは津波に耐え、波を被っても花を咲かせた樹木でした。嶺岸さんの写真からは生命力の強さを感じ、家族や周囲の方達は勇気をもらったと言います。
写真は記録するだけでなく、その時の記憶を思い出す装置となる。写真を見ることでより多くの人に当時のことを伝えることができる、と嶺岸さん。震災で写真やアルバムを失った人が多く、嶺岸さんは写真に残すことの大切さを改めて感じたと言います。最近はデジカメやパソコン、携帯電話に写真を残し、プリントしない人の方が多いのでは…。電子機器の中にだけ写真を留めておくのは、津波に限らず常に危険と隣り合わせでもあります。そうならないためにも、年間に20~30枚くらいは写真という形に残しておいた方がいいのでは、と私は嶺岸さんからアドバイス頂きました。
女川町 おながわコンテナ村商店街 取材リポート
リポート:藤沢智子アナウンサー
今は被災各地にあり、そこで働く方達は日々奮闘している仮設商店街。その中でも震災後最も早くオープンしたであろう商店街、女川コンテナ村商店街へ先週行って参りました。ここは2011年の7月、震災後4ヶ月でスタートしました。オープンに際して商工会青年部の若いメンバーの力が欠かせなかったとコンテナ村代表の相原さんは話してくれました。土地を青年部メンバーから無償で借り受け、他のメンバーがネットで支援を呼び掛け、コンテナを10個提供してもらうことができ、飲食店、食料品店、衣料品店など6店舗でスタートしました。その翌月には居酒屋2店が加わり8店舗に。当初は近隣に買い物ができるところも少なく賑わいましたが、時間の経過とともに大型店人流れる人が増え、イベント等集客の工夫が必要となってきました。
女川町は平成27年に女川駅を再建し、その隣接地に新しい商店街を作ることを計画しています。相原さんもその商店街に入りたいと考え、震災以前に駅にあった温泉等も復活させ、観光客を呼び込みたいという希望を持っています。