石巻市立北上小学校開校の集い 取材リポート
リポート:藤沢智子アナウンサー
この春、震災の影響もあり宮城県内では学校の統廃合がいくつかありました。その一つ、石巻市立北上小学校の開校の集いが今月8日に行われました。北上小学校は北上地区の相川小学校、吉浜小学校、橋浦小学校の3校が一緒になって出来ました。児童数は130人。3校の中で北上川の最も上流に位置する橋浦小学校の校舎を、ボランティアの人たちが掃除をし、ペンキを塗り替えるなどして開校の日を迎えました。
北上地区は津波被害の大きかった地域。震災後は橋浦小に吉浜小と相川小の児童を受け入れる形で児童は勉強してきました。ただこれは、あくまで3校が一緒にいるということ。今度はそれが1つの学校になったのです。児童達は明るくスタートするんだという気持ちで登校してきた、と先生方は話していました。
学校が新しくなり、校歌も新しくなりました。この校歌をハッピートコとしても仙台で音楽活動を続けるピアニストの榊原光裕さんと、ヴァイオリニストの佐藤聡子さんが作りました。榊原さんたちは、校歌は学校に通う児童達だけでなく、卒業した地域の人みんなが歌う「地域の歌」だと実感したそうです。
今月27日には開校式が行われる予定で、児童達が歌う校歌が地域住民の皆さんにお披露目されます。児童達は今、その日に向けて猛練習をしています。
女川町復興支援センター 取材リポート
リポート:飯野雅人子アナウンサー
先月ラジオカーで取材をした女川町復興支援センターの矢竹拓さん。震災発生時は東京に住んでいましたが、友人が沿岸部にいたこともあり、石巻でガレキ撤去や泥カキ作業といったボランティア活動をし、その後、女川へ移り復興支援に取り組んでいます。当初は長期休暇を利用しての活動予定が、丸2年復興作業に携わり、現在は住民票も女川へ移しています。きっかけは1995年の阪神・淡路大震災。大阪出身の矢竹さん。あの時、何か出来たはずなのに何も出来なかったことへの後悔が大きな理由だそうです。
矢竹さんは復興支援センターの職員として、県内外から集まってくるボランティアの調整役、コーディネーターとして活動。その他にも、砂浜の清掃活動、見つかった写真の洗浄作業などに従事してきました。女川の方と結婚をして、仮設住宅で一緒に生活をしながら女川の復興に尽力する毎日です。
今後も女川で復興作業に携わる覚悟を決めている矢竹さんは新年度から復興支援センターを離れ、仮設住宅で生活する方を個別訪問して悩みを聞いたりする「暮らしの相談員」として活動をしています。