JNN三陸支局から米村旅人記者
英語を通じて南三陸町の自然を体感するツアーについて
気仙沼向洋高校 取材リポート
リポート:藤沢智子アナウンサー
先月28日のはまらいん気仙沼ウォークには大勢の皆さんに参加頂きました。その中で、地元気仙沼向洋高校の生徒さん達にお手伝いを頂いておりました。その気仙沼向洋高校は震災で4階の床上1mまで浸水し、校舎は全壊。今でも仮設校舎での授業が続いています。
震災後は3つの学科が3校に分かれ、それぞれ校舎を間借りして授業を行い、10月いっぱいバラバラの状態でした。ようやく11月に気仙沼高校の第二グラウンドの仮設校舎で皆が一緒に授業を受けられるようになりました。
しかし、専門性のある気仙沼向洋高校の授業の中には仮設の校舎では出来ない実習があります。中でも文化祭などで毎年大人気のサンマの缶詰め作り、その実習が挙げられます。今年は作ることが出来ないと諦めていたところ、山形県の加茂水産高校から申し出があり、共同でサンマの缶詰めを作ることができました。
このサンマの缶詰、文化祭では200缶が数分で完売。数に限りがあるため、実習に参加した生徒でも買えなかったとのことです。
南三陸町五十鈴神社 東日本大震災記念碑建立除幕式 取材リポート
リポート:藤沢智子アナウンサー
南三陸町戸倉にあります五十鈴神社に震災の教訓を後世に伝えようと記念碑が建てられ、昨日その除幕式が行われました。
この神社は漁港のすぐ目の前にあり、小学校や保育所を見下ろす小高い丘の上にあります。震災時、小学校や保育所の子供達や地域の住民は避難場所に指定されていた18m位の丘に避難しました。しかし、それを超える津波が来るということで、さらに高い所にある五十鈴神社へ駆け上がりました。その時に来た津波は23m。この神社はここへ避難した190人の命を救いました。
この教訓を刻んだ記念碑は、神社の階段の途中、津波が来た標高23mのあたりに設置されました。碑には「地震があったらこの地より高い所へ逃げること」、そう記されています。南三陸町内での今回の震災に関する記念碑が建てられるのは、これが初めてとのことです。